がんになって日日是好日となるか

肺がんステージ3を宣告され、治療を続けるアラフィフの日常

筋トレのすすめ

自宅療養中、今日は調子いいなっていう日があって、そんな時は外の空気を吸いたくなります。
ある調子のいい日。無性にお寺に行きたい衝動にかられました。
神社仏閣に関しては割と好きな人種に入ると思うのですが、御朱印やらお守りやらまでの熱気は持ち合わせていない信仰心レベル初心者なのに。
そんな私がどうしようもなく、無性に行きたくなったのです。

行きたいお寺も明確に頭に浮かび、もはやそこしか地球上にはお寺がないのではと思うくらい選択の余地はなく、行くなら、あそこのお寺!と一択集中。自宅から車で30分くらい。
行く途中にいっぱい大きな神社やお寺もあるのに、なぜか一択。不思議な感覚でした。

以前、コロナ渦前に参加した会合で隣席がたまたま地元で大きな神社の神主さんだったことがありました。


その会合では他に知り合いらしい人がお互いにいなくて隣の席というご縁から簡単な自己紹介のあと食事をしながら世間話という流れになり、思いつく限りのあれやこれやの話題を神主さんに投げかけていたときに言われた言葉。

「自然と足が向くことになったところは、呼ばれてることがありますよ」

神主さん曰く「行きたい=呼んでる」という図式です。

「行けば風が吹いたり、なにかがタイミングよく行われていたり神様もよく来たなーみたいに色々なサインをだすこともあるんですけど、行きたいって思ったら是非お参りしてみてください」という神秘的な心ときめくアドバイスをいただきました。

なんか映画みたいじゃないですか。
神様に呼ばれてんですよ。選ばれし者ですよ。
でも呼ばれて行って、お前食い過ぎだーとか、命もっと大事にしろよとか怒られたりしたら嫌だなーと思いつつ、素敵なお話でありました。

ちなみに旅行に行っても、その土地で大きな神社にお参りするのもいいですよ。こんにちはーお邪魔しまーすみたいに挨拶する感じで。
とも、言っていたので旅行好きな方は是非お試しあれ。

ともあれ、そんな神主さんからのエピソードを思い出し、まあ神社ではないがお寺も同じようなものだろうと初心者的に都合よく解釈し呼ばれているであろうお寺に向かいました。

お寺は市街地からそれほど遠くないのに小高い山のようになっているところにある昔からの古寺。最後に来た記憶は、子供が小さい頃一緒に来たことがあるくらいなので、かれこれ15年くらい前にはなるはず。観光スポットでもないので人もあまりいないところです。

お寺に行くには車が10台くらい停めれる駐車場の脇にすごく急な上に登る石段があって、石段が延々続いた上にあります。ビルでいったら8階の高さくらい。
石段の両隣には大きな杉の木がこれまた何十本も伸びていて、木々がうっそうと生い茂り周辺は薄暗くてとても静か。人の気配もまったくありません。

延々続く石段をこんな急だったかなーと思いつつ、登り始めます。
ざざっという風に揺れる葉っぱの音。鈴の音のような鳥のさえずりが頭上で聞こえます。
森の中にいるような錯覚をするくらい生い茂った木々が、空気を浄化しているように感じます。
足下の石段は自然の石と土を積み上げた簡素なもので運動不足の人には容赦のない階段となってました。

でも、空気が気持ちいい。
途中、石段脇の大きな杉の木に手を当ててみたりと神様からの電波受信設定をチューニング。
今のところ神様からのお告げは圏外のようですが、なかなか楽しい感じになってきました。

 

が!石段の中間地点を過ぎたあたりから、勾配が急勾配に。

もはやスキージャンプ場じゃねーの?

もはや垂直じゃねーの?

1段1段の段差もメチャクチャ高く、もはや腿上げスクワット。
やばいくらいの勾配で、治療中まったく運動せずに筋力低下まっしぐらだった自分は、意識朦朧、汗だくに。
こんなのお年寄りとか絶対登れない。もはや罰ゲームの如し。
足はガクガク、呼吸も荒く、1段1段休みながらじゃないと登れない。

途中何度も引き返そうかと思いつつも、やっとこさ石段の頂上に到着。そこには小さなお堂と池がありました。

息をハアハア、ゼエゼエいいながら

私のこと、呼びましたー?と念じてみたものの、神様からのお返事はなく、葉っぱが揺れる音と小鳥の声が聞こえているだけでした。
石段の割には、小さいお堂だなと思いつつ掲示している案内板を見ると奥に石段があり、ここから更に上へ本堂があることが判明。
私はニッコリ笑った後、ソッコーで石段を下りました。

神様は体鍛えろって言いたかったのかな?